俳優・竹野内豊。
その端正な顔立ちと確かな演技力で、長年にわたり日本
の芸能界を牽引してきた彼の活躍の裏には、偉大な父の
背中がありました。
寡黙ながらも深い愛情で息子を見守り、その背中を通し
て多くのことを教えてくれた父。
今回は、竹野内豊さん・父親とのエピソードを通じて、
その偉大な背中を偲んでみたいと思います。
目次
竹野内豊さんの父親はどんな人?
厳格ながらも深い愛情を持つ父
竹野内豊さんの父は、元自衛官でした。
厳格な人柄で、幼い頃の竹野内さんは、
父の前ではいつも大人しかったといいます。
しかし、それは決して怖い存在だったからではありませ
ん。
息子を深く愛し、
その成長を誰よりも願っていたからこその厳しさでした。
竹野内豊さんの幼少期のエピソード
幼少期、外で遊ぶのが大好きだったある日、
夢中になって泥だらけになって帰宅したことがありまし
た。
それを見た父は、竹野内さんを風呂場に連れて行き、
頭から水を浴びせ、
「男は、いついかなる時も清潔でなくてはならない」と
諭したといいます。
厳しくも愛情深い父の教えは、竹野内の心に深く刻まれ
たそうです。
息子の成功を心から喜ぶ
母と姉が芸能界入りのキッカケを作りましたが、
竹野内さんが俳優を志した当初、
父親だけは芸能界入りを猛反対しました。
安定した職業に就いてほしいという親心からの反対でし
たが、竹野内さんは諦めませんでした。
そして、彼の強い意志と努力が実を結び、俳優として成
功を収めるに至ります。
成功後も、父は決して驕ることなく、息子を見守り続け
ました。
多忙な竹野内さんが埼玉の実家に帰省した際には、
新しい冷蔵庫をプレゼントするなど、
息子の親孝行を心から喜んでいました。
竹野内さんは、忙しい合間を縫っては実家を訪れ、
家族との時間を大切にしていました。
深まる絆
映画『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-』での
竹野内さんの演技は、
父の存在を強く意識したものだったと言われています。
竹野内さんが演じたのは、太平洋戦争の激戦地で勇敢に
戦った日本兵。
自衛官だった父の姿と重ね合わせ、敬礼の仕方まで
教わったそうです。
この作品を通して、竹野内さんは父への尊敬と感謝の
気持ちを新たにしたことでしょう。
息子を誇りに思う、寡黙な父の愛情
竹野内さんのお父様は、
息子の活躍を誰よりも誇りに思い、応援していました。
普段はテレビ出演を渋る父でしたが、
「息子のためなら」と出演したこともあるほどです。
それは、息子への深い愛情と信頼の証でした。
親孝行の気持ちから建てられた豪邸
竹野内さんは、晩年の父のために、
緑豊かな3階建ての豪邸を建てました。
しかし、共に暮らせる時間はわずか4ヶ月間でした。
それでも、息子が自分のために建ててくれた家で過ごし
た日々は、父にとってかけがえのないものだったに違い
ありません。
父の背中が教えてくれたこと
竹野内さんの父は、寡黙ながらも深い愛情で息子を見守
り、その背中を通して多くのことを教えてくれました。
それは、俳優としての成功だけでなく、
竹野内豊という人間そのものを形作ったと言えるでしょう。
偉大な父の背中があったからこそ、
今の竹野内さんがあるのですね。
まとめ
俳優としての活躍を支えたのは、厳格ながらも深い愛情
を持つ父親の存在でした。
幼少期の泥だらけのエピソード、
俳優への道を反対されたこと、
そして映画『太平洋の奇跡』での役作りなど、
そこには常に父の教えと愛情がありました。
寡黙な父は、息子の成功を誰よりも喜び、陰ながら支え
続けました。
竹野内さんもまた、親孝行な息子として、
晩年の父のために豪邸を建てるなど、感謝の気持ちを形
にしてきました。
偉大な父の背中があったからこそ、今の竹野内豊がある
と言えるでしょう。
コメント