早乙女太一さんといえば、端正な顔立ちと華麗な殺陣で
観客を魅了する、人気若手俳優の一人です。
彼が舞台役者としての道を歩み始めたのは、わずか2歳と
いう幼少の頃。
その背景には、大衆演劇の劇団を率いる父・葵陽之介さ
んの存在がありました。
今回は、早乙女太一さんのお父様について、太一さんと
のエピソードも交え、書いていきたいと思います。
目次
早乙女太一さんの父親は誰?どんな人?
早乙女太一さんのお父様は、葵陽之介さんと言います。
葵陽之介さんは、劇団朱雀の初代座長を務めた人物。
また父・葵陽之介さんは、彼を舞台役者へと導いた立役
者です。
早乙女太一さんにとって、父は舞台の師であり、憧れの
存在でもありました。
厳しくも愛情深い指導のもと、早乙女さんは幼い頃から
舞台に立ち、芸を磨いてきました。
葵陽之介さんの経歴
葵陽之介さんは、福岡県出身。
17歳の時に観劇した大衆演劇に魅了され、その世界に飛
び込みました。
「葵劇団」で活躍後、2003年に自身の劇団「劇団朱雀」
を旗揚げ。
座長として、劇団を牽引してきました。
「劇団朱雀」では、古典的な演目から現代的な作品まで、
幅広いジャンルの舞台を上演。
葵陽之介さんは、その卓越した演技力と演出力で、多く
の観客を魅了しました。
葵陽之介の人物像
葵陽之介さんは、舞台に対して非常に厳格な人物として
知られています。
妥協を許さず、常に最高の舞台を追求する姿勢は、周囲
の役者たちにも大きな影響を与えました。
早乙女太一さん自身も、幼い頃から父の厳しい指導を受
けて育ちました。
「父は怖かった」と語る一方で、「その厳しさがあったか
らこそ、今の自分がある」と感謝の気持ちも述べていま
す。
一方で、葵陽之介さんは、非常に愛情深い人物でもあり
ました。
役者一人ひとりの個性を尊重し、その才能を最大限に引
き出すことに長けていました。
早乙女太一さんの才能を見出し、幼い頃から舞台に立た
せたのも、葵陽之介さんの愛情の表れだったと言えるで
しょう。
早乙女太一さんと父親のエピソードは?
早乙女太一さんと葵陽之介さんの間には、舞台を通して
多くのエピソードがあります。
厳しかった稽古
葵陽之介さんは、舞台に対して非常に厳しく、妥協を許
さない人でした。
早乙女太一さんも幼い頃からその厳しい指導を受け、稽
古では何度も泣かされたそうです。
ある時、早乙女太一さんが殺陣の稽古でうまくいかず、
葵陽之介さんに叱責されたことがありました。
「お前はそれでいいのか!もっと真剣にやれ!」と、厳
しい言葉が飛んだそうです。
しかし、葵陽之介さんの厳しさは、早乙女太一さんの才
能を伸ばすための愛情の裏返しでした。
早乙女太一さんも、後に「父のおかげで、今の自分があ
る」と語っています。
親子での共演
早乙女太一さんと葵陽之介さんは、親子で舞台に立った
こともあります。
2013年の舞台「龍と牡丹」では、親子役で共演を果た
しました。
舞台上では、息の合った演技を見せ、観客を魅了しまし
た。
親子でありながら、役者同士として互いに尊重し合う姿
は、多くの人の感動を呼びました。
初めての親子対談
2023年10月、ある企画で、早乙女太一さんと葵陽之介
さんの親子対談が実現しました。
これは、二人の初めての公式な対談でした。
早乙女太一さんは、葵陽之介さんとの思い出や、舞台に
かける想いを語りました。
葵陽之介さんは、早乙女太一さんの活躍を認め、「自分
の息子ながら、すごい役者になった」と褒めました。
この対談は、二人の絆を再確認する貴重な機会となりま
した。
これらのエピソードからもわかるように、早乙女太一さ
んと葵陽之介さんの間には、深い絆があります。
葵陽之介さんの厳しくも愛情深い指導は、早乙女太一さ
んの役者としての成長に大きく貢献しました。
まとめ
今回は、早乙女太一さんと父:葵陽之介さんの人物像、
また親子エピソードをご紹介しました。
舞台にかける並々ならぬ壮絶なまでの想い、
早乙女太一さんは、これからも父・葵陽之介さんの教え
を胸に、舞台役者として活躍していくことでしょう。
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