妖艶な女形で観客を魅了する早乙女太一さん。
その華やかな舞台裏には、波乱万丈な生い立ちと、
芸の道へのひたむきな情熱がありました。
今回は、早乙女太一さんの本名にまつわるエピソードや、
彼が歩んできた道のりを辿りながら、
そのルーツに迫ります。
目次
早乙女太一さんの本名は?
早乙女太一さんの本名は、
西村太一(にしむらたいち)さんです。
早乙女太一さんの芸名の由来は?
実は、この芸名は、
北野武監督によって名付けられました。
2005年公開の映画『TAKESHIS’』に出演した際、
北野武監督から「早乙女太一」という役名を与えられ、
それがそのまま芸名になったそうです。
早乙女太一さんの本名はなぜ明らかになった?
早乙女太一さんの本名は、実は公表されている情報なの
で「明らかになった」というよりは、最初からオープン
になっていたと言えます。
彼の本名が広く知られるようになったのは、いくつかの
要因が考えられます。
大衆演劇の出身:
早乙女さんは大衆演劇の世界で幼い頃から活躍しており、
劇団のパンフレットや公演情報などに本名が記載されて
いた可能性があります。
大衆演劇はファンとの距離が近い芸能文化なので、本名
で呼ばれることも珍しくありません。
映画出演時のクレジット:
2003年公開の映画『座頭市』に、
本名の「西村太一」名義で出演しています。
芸の道に導かれた幼少期
早乙女太一さんは、1991年9月24日、
福岡県北九州市で生まれました。
両親は共に大衆演劇の役者で、
「葵劇団」に所属していました。
そのため、早乙女さんは幼い頃から舞台が身近な環境で
育ちます。
わずか4歳で初舞台を踏み、
10歳から女形として舞台に立つように。
子役時代からその美貌と才能で注目を集め、
「流し目王子」の愛称で親しまれていました。
劇団朱雀の2代目として
その後、父親が立ち上げた「劇団朱雀」の2代目となり、
全国を巡業しながら舞台経験を積みます。
しかし、順風満帆な役者人生だけではありませんでした。
2012年には、舞台での事故で左足かかとを骨折し、
全治3ヶ月の大怪我を負います。
それでも、不屈の精神でリハビリを乗り越え、
舞台に復帰を果たしました。
さらなる高みへ
2015年には劇団朱雀が解散し、
早乙女さんは新たな道を模索することに。
その後、LDH JAPANに所属し、
活動の幅を広げています。
近年では、時代劇『ふたがしら』や
ドラマ『六本木クラス』など、話題作への出演も続いて
います。
また『封刃師』では主演もつとめており、
舞台で培った表現力と存在感は、
映像の世界でも高く評価されています。
まとめ
早乙女太一さんの本名である「西村太一」は、
彼の人生における原点とも言えるでしょう。
そこから「早乙女太一」へと転身し、
波乱万丈な経験を乗り越えながら、
今もなお進化を続ける彼の姿は、
多くの人々に感動と勇気を与えているのではないで
しょうか?
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